你無法預先把點點滴滴串連起來;只有在未來回顧時,你才會明白那些點點滴滴是如何串在一起的(you can't connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards )。所以你得相信,眼前你經歷的種種,將來多少會連結在一起。你得信任某個東西,直覺也好,命運也好,生命也好,或者業力。這種作法從來沒讓我失望,我的人生因此變得完全不同。你得找出你的最愛,工作上是如此,人生伴侶也是如此。

 

  你的工作將佔掉你人生的一大部分,唯一真正獲得滿足的方法就是做你相信是偉大的工作,而唯一做偉大工作的方法是愛你所做的事(And the only way to do great work is to love what you do)。如果你還沒找到這些事,繼續找,別停頓。

 

  卒業式の祝辞は愉しいが忘れられやすい。ところが今年6月、米スタンフォード大学で行われたステーブ・ジョブス氏のスピーチは、夏が終わろうとしているいまも密かに話題となっている。アップル・コンピューターとピクサー・アニメーション・スタジオの最高経営責任者(CEO)である同氏は、このスピーチで、三つの人生経験を語り、スタンフォードの卒業生ばかりか、シリコン・バレーなどの技術者たちにも大きな感銘を与えた。ネット上でこの祝辞が広まり、さまざまな人々がそれについて議論を重ねている。今回は、そのあらましを紹介しよう。

 

  今天很榮幸來到各位從世界上最好的學校之一畢業的畢業典禮上。我從來沒從大學畢業過,實話,這是我離大學畢業最近的一刻。今天我只三個故事,不談大道理,三個故事就好。

  わたしは今日、世界で最も立派な大学のひとつであるスタンフォード大学の卒業式に招かれ、みなさんとともに、ここにいることを誇りに思います。わたしは大学を卒業していません。本当のことを言えば、この卒業式がわたしが経験した初めてのものであります。今日はわたしの人生から得た三つの話しをしたいと思います。

 

  第一個故事,是關於人生中的點點滴滴如何串連在一起。我在里德學院(Reed College)待了六個月就辦休學了。到我退學前,一共休學了十八個月。那麼,我為什麼休學?(聽眾笑)這得從我出生前講起。我的親生母親當時是個研究生,年輕未婚媽媽,她決定讓別人收養我。她強烈覺得應該讓有大學畢業的人收養我,所以我出生時,她就準備讓我被一對律師夫婦收養。但是這對夫妻到了最後一刻反悔了,他們想收養女孩。所以在等待收養名單上的一對夫妻,我的養父母,在一天半夜裡接到一通電話,問他們「有一名意外出生的男孩,你們要認養他嗎?」而他們的回答是「當然要」。

  最初は点と点をつなぐという話です。わたしは最初の6カ月でリード大学を退学しましたが、実際に辞めるまでさらに18カ月間授業を聴講していました。退学した理由は、わたしが生まれる前にさかのぼります。わたしの生みの母親は若く、未婚の大学院生で、わたしを養子に出そう決めていました。彼女は大学を卒業した夫婦に、わたしを養子に出すことを強く希望していたので、そのような夫婦がわたしの出産と同時に養子として引き取る手はずが整えられていました。しかし、彼らは土壇場になって実は女の子が欲しいと言い出したのです。そこで養子縁組みのウエイテング・リストに載っていた今の両親が真夜中、「生まれてきたのは思いもよらない男の子だったので、その子を養子にしないか?」という電話を受け、「結構です」と返事をしたわけです。

 

  後來我的生母發現,我現在的媽媽從來沒有大學畢業,我現在的爸爸則連高中畢業也沒有。她拒在認養文件上做最後簽字。直到幾個月後,我的養父母保證將來一定會讓我上大學,她的態度才軟化。

  わたしの生みの母親は後に、わたしの母親が大学を卒業しておらず、また父親は高校すら卒業していないことを知りました。彼女は養子縁組みの書類に署名することを拒みました。数カ月後、わたしの両親が将来わたしが成長したら大学に入れると約束したため、生みの母親も養子に出すことを承諾しました。

 

  十七年後我上大學了。但是當時我無知地選了一所學費幾乎跟史丹佛一樣貴的大學(聽眾笑),我那工人階級的父母將所有積蓄都花在我的學費上。六個月後,我看不出唸這個書的價何在。那時候,我不知道這輩子要幹什麼,也不知道唸大學能對我有什麼幫助,只知道我為了唸這個書,花光了我父母這輩子的所有積蓄,所以我決定休學,相信船到橋頭自然直。當時這個決定看來相當可怕,可是現在看來,那是我這輩子做過最好的決定之一。(聽眾笑)當我休學之後,我再也不用上我沒興趣的必修課,把時間拿去聽那些我有興趣的課。這一點也不浪漫。

  そして17年後、わたしは大学に入ったわけですが、何も考えずにスタンフォード大学と同じように授業料の高い大学を選んでしまい、わたしの両親が細々貯めた貯金はすべて授業料で消えてしまいました。入学して6カ月間、わたしは何の価値も見つけることができませんでした。わたしが何をしようとし、それを見つけるのに、大学がどうやって手助けしてくれるのか、についても分かりませんでした。その間、わたしは両親が生涯をかけて貯めたお金を使っていたのです。そこで、すべてのことは上手くゆくと信じて、わたしは退学しました。そのとき、それは恐ろしいことでしたが、振り返ってみると、それはわたしのした決断のなかで最高のものでした。退学した瞬間、わたしは興味を引かなかった必須科目の授業に出るのをやめ、面白そうな授業に顔を出しました。

 

  我沒有宿舍,所以我睡在友人家裡的地板上,靠著回收可樂空罐的退費五分錢買吃的,每個星期天晚上得走七哩的路繞過大半個鎮去印度教的 Hare Krishna神廟吃頓好料,我喜歡Hare Krishna神廟的好料。就這樣追隨我的好奇與直覺,大部分我所投入過的事務,後來看來都成了無比珍貴的經歷(And much of what I stumbled into by following my curiosity and intuition turned out to be priceless later on )。

  わたしは寮に部屋を持っていなかったので、友人の部屋の床に寝ていました。わたしは清涼飲料水の缶を5セントに替えて食料を買う生活に戻り、日曜日の夜は7マイル歩いてヘア・クリシュナ寺院に行き、週一回のまともな食事にありつきました。そして、好奇心と直感の赴くまま発見したことの多くがその後、とても貴重であるということが分かりました。具体的な例をあげましょう。

 

  舉個例來。當時里德學院有著大概是全國最好的書寫教育。校園的每一張海報上,每個抽屜的標籤上,都是美麗的手寫字。因為我休學了,可以不照正常選課程序來,所以我跑去上書寫課。我學了serif sanserif字體,學到在不同字母組合間變更字間距,學到活字印刷偉大的地方。書寫的美好、歷史感與藝術感是科學所無法掌握的,我覺得這很迷人。

  当時、リード大学は多分アメリカ中で最良のカリグラフィー(装飾的書体)の授業を行っていました。キャンパスの至る所に飾られたポスターや戸棚のラベルは、美しい装飾文字が施されていました。中途退学したわたしは、通常のクラスに出席する必要がなく、装飾文字の技法を習うためにカリグラフィー(装飾書体)のクラスに出席することにしました。セリフやサンセリフの書体を習い、活字の組み合わせに応じて字の間を調整する方法や、素晴らしいフォントを実現するために何が必要かを学びました。それは美しく、歴史があり、科学では識別できない微妙なアートの要素を持つ世界で、わたしはそのとりこになりました。

 

  我沒預期過學這些東西能在我生活中起些什麼實際作用,不過十年後,當我在設計第一台麥金塔時,我想起了當時所學的東西,所以把這些東西都設計進了麥金塔裡,這是第一台能印刷出漂亮東西的電腦。

  これがわたしの将来の人生で実際に何かに役立つという思いはありませんでした。しかしそれから10年後、最初のマッキントッシュ・コンピューターを設計していた時に、この経験が蘇ってきました。そして、マックのデザインにそれを取り入れました。それは美しいフォント機能を持った最初のコンピューターでした。もし、わたしがカリグラフィーのクラスに寄り道をしていなかったら、マックは決して複数の活字書体やいまのような字間調整フォントを持たなかっただろうと思います。

 

  如果我沒沉溺於那樣一門課裡,麥金塔可能就不會有多重字體跟等比例間距字體了。又因為Windows抄襲了麥金塔的使用方式(聽眾鼓掌大笑),因此,如果當年我沒有休學,沒有去上那門書寫課,大概所有的個人電腦都不會有這些東西,印不出現在我們看到的漂亮的字來了。當然,當我還在大學裡時,不可能把這些點點滴滴預先串連在一起,但在十年後的今天回顧,一切就顯得非常清楚。

  ウインドウズはマックを真似ただけなので、そのような活字書体やフォントを持ったPCは存在しなかったように思われます。もし、わたしが途中退学しなかったら、もしわたしがカリグラフィーのクラスに寄り道していなかったら、PCに今のあるような素晴らしい活字書体やフォントがなかったかも知れないのです。もちろん、わたしが大学にいたとき、点と点を繋げて、将来有望だと考えることは不可能でした。しかし、10年後に振り返ってみると、これほどはっきり見ることはないのです。

 

  我再一次,你無法預先把點點滴滴串連起來;只有在未來回顧時,你才會明白那些點點滴滴是如何串在一起的(you can't connect the dots looking forwardyou can only connect them looking backwards)。所以你得相信,眼前你經歷的種種,將來多少會連結在一起。你得信任某個東西,直覺也好,命運也好,生命也好或者業力。這種作法從來沒讓我失望,我的人生因此變得完全不同。(Jobs停下來喝水)

  もう一度言います。あなた方は先回りして点と点を繋げてみることはできません。あなた方は振り返って点と点を繋げることができるだけなのです。だから、その点と点は将来何らかの形でつながって行くと信じなければいけません。自分のガッツ、運命、人生、カルマなど、何でもいいから信じなければいけません。こうしたアプローチでわたしは赴くままに生きてきました。信じることで人生は変わるのです。

 

  我的第二個故事,是有關愛與失去。我很幸運-年輕時就發現自己愛做什麼事。我二十時,跟Steve Wozniak在我爸媽的車庫裡開始了蘋果電腦的事業。我們拼命工作,蘋果電腦在十年間從一間車庫裡的兩個小夥子擴展成了一家員工超過四千人、市價二十億美金的公司,在那事件之前一年推出了我們最棒的作品-麥金塔電腦(Macintosh),那時我才剛邁入三十,然後我被解僱了。我怎麼會被自己創辦的公司給解僱了?(聽眾笑),當蘋果電腦成長後,我請了一個我以為在經營公司上很有才幹的傢伙來,他在頭幾年也確實幹得不錯。

  二番目の話は恋愛と敗北についてです。わたしは幸いにも若いうちに自分が何がしたいかを見つけました。同僚とわたしは20才のとき、わたしの両親の家のガレージでアップルを始めました。われわれは一生懸命働き、10年間でアップルを20億ドルの売り上げと4000人の従業員を抱える会社にしました。われわれがマッキントッシュを発表した1年後、わたしがちょうど30才になったとき、わたしはアップルを首になりました。どうして自分で始めた会社を首になったのでしょう?アップルが大きくなるにつれて、われわれは会社を運営するのに長けたと考えたある人を雇い入れ、最初のうちは上手くいっていました。

 

  可是我們對未來的願景不同,最後只好分道揚鑣,董事會站在他那邊,就這樣在我30的時候,公開把我給解僱了。我失去了整個生活的重心,我的人生就這樣被摧毀。

  しかし、われわれの将来のビジョンに関する意見が分かれ始め、ついにわれわれは仲たがいしてしまいました。アップルの役員会はわたしに反対の立場をとり、わたしはアップルを去りました。30才にして会社を追い出されたのです。しかも、それを世の中の誰もが知ってしまいました。わたしの人生のすべてをかけたものが無くなってしまいました。それはひどいものでした。

 

  有幾個月我不知道要做些什麼。我覺得我令企業界的前輩們失望-我把他們交給我的接力棒弄丟了。我見了創辦HPDavid Packard跟創辦IntelBob Noyce,跟他們很抱歉我把事情給搞了。我成了公眾眼中失敗的示範,我甚至想要離開谷但是漸漸的,我發現我還是喜愛那些我做過的事情,在蘋果電腦中經歷的那些事絲毫沒有改變我愛做的事。雖然我被否定了,可是我還是愛做那些事情,所以我決定從頭來過。

  実際、わたしは数カ月間何をしたらよいか分かりませんでした。前の世代から受け継いできた起業家の名誉が地に落ち、それは自分に渡されようとしたバトンを寸前で落としてしまったような気がしました。その失敗は周知のことでしたので、シリコン・バレーから逃げ出そうかとさえ考えました。しかし、何かがゆっくり見え始め、わたしがやってきたことがまだまだ好きでした。アップルでの敗北はこうしたわたしの思いを少しも変えることはありませんでした。わたしは拒絶されましたが、まだほれていました。そして、わたしは初めからやり直すことを決めました。

 

  當時我沒發現,但現在看來,被蘋果電腦開除是我所經歷過最好的事情。成功的沉重被從頭來過的輕鬆所取代,每件事情都不那麼確定,讓我自由進入這輩子最有創意的年代。

  そのときには分かりませんでしたが、アップルを首になったということは過去にわたしに起こったことの中で一番良いことだったということが分かりました。成功の重みはすべてがより不確実なビギナーであることの軽さに取って代わりました。そして、わたしの人生のなかでも最も創造的な時期に迎えることを可能にしてくれました。

 

  接下來五年,我開了一家叫做 NeXT的公司,又開一家叫做Pixar的公司,也跟後來的老婆(Laurene)談起了戀愛。Pixar接著製作了世界上第一部全電腦動畫電影,玩具總動員(Toy Story)現在是世界上最成功的動畫製作公司(聽眾鼓掌大笑)。然後蘋果電腦買下了NeXT,我回到了蘋果,我們在 NeXT發展的技術成了蘋果電腦後來復興的核心部份。

  次の5年間で、わたしはNeXTという会社とピクサー(Pixar)という別の会社を始め、わたしの妻となる素晴らしい女性と恋に落ちました。ピクサー(Pixar)は世界で初めてコンピューターによるアニメ、「トイ・ストーリー」を作り、いまや世界で最も成功したアニメ・スタジオとなりました。思いがけず、アップルがNeXTを買収し、わたしはアップルに復帰しました。NeXTで開発した技術はアップル再生の核となっています。そして、ローレンとわたしは素晴らしい家庭を共にしています。

 

  我也有了個美妙的家庭。我很確定如果當年蘋果電腦沒開除我,就不會發生這些事情。這帖藥很苦口,可是我想蘋果電腦這個病人需要這帖藥。有時候人生會用磚頭打你的頭。不要喪失信心。我確信我愛我所做的事情,這就是這些年來支持我繼續走下去的唯一理由(I'm convinced that the only thing that kept me going was that I loved what I did)。你得找出你的最愛,工作上是如此,人生伴侶也是如此。

  もしわたしがアップルをくびになっていなければ、こうしたことは起こらなかったことだけは確かです。それはひどい味のする薬でしたが、患者にはそれが必要だったのだと思います。時として、人生にはれんがで頭をぶん殴られるようなことが起こります。ですが、信念をなくしてはいけません。わたしがくじけずにやってこられたのは、自分のやっている仕事が好きだという気持ちがあったからです。みなさんも好きなことを見つけなければなりません。そして、仕事も恋愛も根本は同じです。

 

  你的工作將佔掉你人生的一大部分,唯一真正獲得滿足的方法就是做你相信是偉大的工作,而唯一做偉大工作的方法是愛你所做的事(And the only way to do great work is to love what you do )。如果你還沒找到這些事,繼續找別停頓。盡你全心全力,你知道你一定會找到。而且,如同任何偉大的事業,事情只會隨著時間愈來愈好。所以,在你找到之前,繼續找別停頓。(聽眾鼓掌,Jobs喝水)

  仕事があなたの人生の大きな部分を占めて行くでしょうが、本当に満足できる道は自分が素晴らしいと信じている仕事をやることです。そして、素晴らしい仕事をやることが、自分がやることを好きなることなのです。まだそれを見つけていなかったら、探し続けなさい。落ち着いてしまってはいけません。心の問題と一緒で、そういうのは見つかるとピンときます。恋愛やなにかと同じように、年が経つに連れてますます良くなって行く。ですからみなさんがそれを見つけるまで探し続け、それをやめないで下さい。

 

  我的第三個故事是關於死亡。當我十七時我讀到一則格言,好像是「把每一天都當成生命中的最後一天,你就會輕鬆自在。(If you live each day as if it was your last, someday you'll most certainly be right )」(聽眾笑)這對我影響深遠,在過去33年裡,我每天早上都會照鏡子,自問:「如果今天是此生最後一日,我今天要做些什麼?」每當我連續太多天都得到一個「沒事做」的答案時,我就知道我必須有所改變了。

  三番目の話は死についてです。わたしが17才のとき、「あなたが毎日をあたかも人生最後の日であるように生きれば、いつか、あなたは間違いなく望ましい生活を送ることになる」という趣旨の文章を読んだことがあります。その言葉はわたしに強い印象を与えました。それ以来33年間、毎朝、鏡を見て、「今日が人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを本当にやりたいのか?」と自身に問いかけて来ました。答えがでない日が続くと、わたしはなにか変える必要があると悟るわけです。

 

  提醒自己快死了,是我在人生中面臨重大決定時,所用過最重要的方法。因為幾乎每件事-所有外界期望、所有的名聲、所有對困窘或失敗的恐懼-在面對死亡時,都消失了,只有最真實重要的東西才會留下(Remembering that I'll be dead soon is the most important tool I've ever encountered to help me make the big choices in life. Because almost everything - all external expectations, all pride, all fear of embarrassment or failure - these things just fall away in the face of death, leaving only what is truly important)。提醒自己快死了,是我所知避免掉入畏懼失去的陷阱裡最好的方法。人生不帶來、死不帶去,沒理由不能順心而為。

  自分が死と隣り合わせにあることを忘れずにいることは、わたしが人生で大きな選択をする際の最も重要な手だてとなってくれました。外部からの期待、プライド、屈辱や挫折に対する恐怖などすべてのことは、死に直面すれば何でもないことです。自分が死に行くということを思えば、何かを失うという考えの落とし穴にはまることもありません。みなさんはもう裸なのです。自分の思いのままに生きてはいけない理由などないのです。

 

  一年前我被診斷出癌症。我在早上七點半作斷層掃描,在胰臟清楚出現一個腫瘤,我連胰臟是什麼都不知道。醫生告訴我,那幾乎可以確定是一種不治之症,預計我大概活不到三到六個月了。醫生建議我回家,好好跟親人們聚一聚,這是醫生對臨終病人的標準建議。那代表你得試著在幾個月把你將來十年想跟小孩講的話講完。那代表你得把每件事情搞定,家人才會盡量輕鬆。那代表你得跟人再見了。

  1年ほど前、わたしはガンと診断されました。朝の7時30分にスキャン検査をし、膵臓(すいぞう)に腫瘍があることが分かりました。そのときは膵臓がなんたるかも知りませんでした。治療不可能なタイプのガンで、3~6カ月以上は生きる望みがないと医師に言われました。医師はわたしに家に帰り、すぐに雑事を整理するよう勧めました。これは医学上、「死の支度をしろ」という意味のコードだと言われています。この世にさよならを告げることを意味します。

 

  我整天想著那個診斷結果,那天晚上做了一次切片,從喉嚨伸入一個視鏡,穿過胃進到腸子,將探針伸進胰臟,取了一些腫瘤細胞出來。我打了鎮靜劑,不醒人事,但是我老婆在場。她後來跟我,當醫生們用顯微鏡看過那些細胞後,他們都哭了,因為那是非常少見的一種胰臟癌,可以用手術治好。所以我接受了手術,康復了。(聽眾鼓掌)

  わたしはそうした診断を抱えてまる1日を過ごしました。その日の夕方遅く、生体検査をしました。内視鏡をのどに差し込み、胃を通って、腸に達し、膵臓に針を刺し、腫瘍から幾つかの細胞を採取するのです。わたしは鎮静剤を飲まされましたが、同席していた妻は、医師達が顕微鏡を覗いたとき、外科手術によって治癒可能な膵臓ガンだと分かったので、彼らは大声を上げたと、話しました。わたしは手術を受け、現在もこうして元気でいます

 

  這是我最接近死亡的時候,我希望那會繼續是未來幾十年最接近的一次。經歷此事後,我可以比先前死亡只是純粹想像時,要能更肯定地告訴你們下面這些:沒有人想死。即使那些想上天堂的人,也想活著上天堂(聽眾笑)。但是死亡是我們共同的終點,沒有人逃得過。這是註定的,因為死亡很可能就是生命中最棒的發明,是生命交替的媒介,送走老人們,給新生代開出道路。現在你們是新生代,但是不久的將來,你們也會逐漸變老,被送出人生的舞台。抱歉講得這麼戲劇化,但是這是真的。

  これが、わたしが最も近くで死に直面したときで、これから数十年先までこの瞬間が来ないことを願っています。こうした瞬間を切り抜けて、わたしはより確信をもって、死を望むものはいない、とみなさんに言うことができます。天国に行きたいと思っているもので、天国に行くために死ぬことは望みません。しかも、死はわれわれすべてが共有する終着点なのです。誰も死を免れることはできないのです。「死」は恐らく「生」が生んだ唯一最良の発明品なので、死はそうあるべきなのです。それは生のチェンジ・エージェントなのです。それは古きものを一掃し新しいものを創り出す方法なのです。現在、みなさんは新しいものですが、今からそう遠くないいつか、みなさんも徐々に古くなり一掃されるのです。芝居がかりで申し訳ありませんが、これが真実です。

 

  你們的時間有限,所以不要浪費時間活在別人的生活裡。不要被教條所侷限--盲從教條就是活在別人思考結果裡。不要讓別人的意見淹沒了你在的心聲。最重要的,擁有追隨自己心與直覺的勇氣,你的心與直覺多少已經知道你真正想要成為什麼樣的人(have the courage to follow your heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become),任何其他事物都是次要的(聽眾鼓掌)。

  みなさんの時間には限りがあります。誰かほかのひとの人生を送ることで時間を無駄遣いしてはなりません。ドグマに閉じこめられてはいけません。それはほかのひとの考えた結果とともに生きることになります。他人の意見で自分の内なる声をかき消してはいけません。最も重要なことは自分のハートと直感について行く勇気を持つことです。どういうわけか、みなさんが本当に何になりたいと思っているか、すでにみんな知っています。

 

  在我年輕時,有本神奇的雜誌叫做《Whole Earth Catalog》,當年這可是我們的經典讀物。那是一位住在離這不遠的 Menlo ParkStewart Brand發行的,他把雜誌辦得很有詩意。那是 1960 年代末期,個人電腦跟桌上出版還沒出現,所有容都是打字機、剪刀跟拍立得相機做出來的。雜誌容有點像印在紙上的平面Google,在Google出現之前35年就有了:這本雜誌很理想主義,充滿新奇工具與偉大的見解。

  わたしが若かったとき、全地球カタログ(The Whole Earth Catalog)という名のすごい本がありました。それはわれわれ世代のバイブルのひとつでした。この本はここからほど遠くない場所でスチュアート・ブランドという男が作り、詩的なタッチでこれを世に出しました。それはPCやdesktop publishing以前の1960年代の後半で、タイプライター、はさみ、インスタントカメラを使って作られています。それはGoogleが出る35年前に遡って出されたペーパーバック版のGoogleのようなものでした。それは理想的で、すっきりしたツールと偉大な概念が行き渡っていました。

 

  Stewart跟他的團隊出版了好幾期的《Whole Earth Catalog》,然後很自然的,最後出了停刊號。當時是 1970年代中期,我正是你們現在這個年齡的時候。在停刊號的封底,有張清晨鄉間小路的照片,那種你四處搭便車冒險旅行時會經過的鄉間小路。在照片下印了行小字:求知若飢,虛心若愚(Stay Hungry , Stay Foolish)。那是他們親筆寫下的告別訊息,我總是以此自許。當你們畢業,展開新生活,我也以此祝福你們。求知若飢,虛心若愚(Stay Hungry, Stay Foolish)。非常謝謝大家。(聽眾起立鼓掌二分鐘)

  スチュアートとその仲間は全地球カタログ(The Whole Earth Catalog)を数版出し、最終版を出しました。それは1970年代の半ばで、わたしは丁度みなさんと同じ年でした。最終版の裏表紙には早朝の田舎道の写真がありました。みなさんが冒険心に富んでいたら、ヒッチハイキングをしている自分を、そこに見いだすというような風景です。その下に、ハングリーであれ、愚か者であれ、(Stay Hungry. Stay Foolish.)という言葉が書いてありました。それは、彼らがが仕事をやめるに際しての、告別の辞でした。ハングリーであれ、愚か者であれ、(Stay Hungry.Stay Foolish.)わたしはいつもそうありたいと願っています。いまみなさんが卒業するにあたって、この言葉を捧げます。ハングリーであれ、愚か者であれ、(Stay Hungry.Stay Foolish.)みなさん、どうもありがとう。

 

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